2011年9月21日水曜日

旅とそれから

1週間ほど前に帰国しました。 ヨーロッパは2年連続で前回は北欧、フィンランド→スウェーデン→デンマーク→イタリアという順に行き、AALTOを中心に様々な建築を見に行き、また向こうで多くの留学生と再会を果たしました。 今回の旅は約1ヶ月でルートとしてはフランス→ベルギー→ドイツ→ポーランド→デンマーク→スウェーデンという順番に回ってきました。 ■France編 フランスについたのは夜の9時くらいだったか。空港についてさてホテルに向かおうと試みる。 飛行機の中で一緒に行ったM君が空港の駅を間違え、完全にどこにいるかわからないことに。 とりあえず駅でここはどこかと聞きメトロを駆使し、酷い雷鳴の中ホテルまで約1時間かけて向かう。 Nord駅についてそこから歩いて行こうと試みるも、酷い雷で早くもフランスの洗礼をうけた。 ホテルの近くまで来たもののわからない。道に迷い近くにあったjapanese restaurantへ行き道を聞こうとするも、 でてきたのは中国人。以降japanese restaurant伝説が始まる。 なんとか地図を見ながらホテルへ到着。 パリのホテルはある程度いいところに泊まらないとひどいときいていたがそれにしてもひどかった。それで一泊6000円は高い。  かびくさく、空調設備もなく、2人で泊まるもののなぜかbedが4つ。虫もおおい。下にクラブがあり、Beatの聞いた音楽が夜通し流れている。ここで3泊かと思ったが、仕方がない。 この日は寝るだけで翌日を迎える。 朝8時に起床。僕は時差ぼけとは無縁なので元気に。 朝食のパンはかなりうまかった。だが、本当にパンとコーヒーだけ。 9時に出発してPossyまで目指す。 お目当てはもちろんこれ。建築を勉強する上で死ぬまでには見たかった。
Villa Savoya コルビジェ建築で20世紀の建築に大きく影響を与えた建築。 感想はここでは述べないが多くの影響をうけた。 この建築があるのはポワシーといいパリから少し郊外のところに所在する。 駅の近くでパン屋を見つけ、注文するもまったく英語が通じない。 フランスの洗礼その2だ。 郊外に行くと英語が通じない。 パンを食べながらパリへと戻る。 パリとパンってカタカナだとなんだか似てる。 16区へ戻り、とりあえず有名なとこへ。
そこのジャンヌーベルのカルティエ財団などを経由するため16区を半周回る。 歩き時間およそ6時間くらいだろうか。 僕は元気だった。少なくとも僕は町歩きが大好きだから。
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8時頃にホテルへ戻り、スーパーで夕飯を買い、就寝。 つづく

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